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縄文人
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縄文人
アフリカで30万年前に誕生したホモ・サピエンス(=私たちの祖先)が、その誕生の地・アフリカを出発したのは、約7万年前のことだったとされています。なぜ、アフリカを出たのかは解明されてはいません。狩猟採取を生業としていたためたえず移動する暮らしを続けていたようなのです。主な要因としては、気候変動や食料資源の枯渇などが考えられるようです。
でも、想像してみると、わたしたちの祖先たちは、「向こうの森には何がある?」「あの川の先はどんなところだろう?」という、好奇心や探求心、飛躍すれば“冒険心”にあふれていたんだろうと思うのです。そんな気性の人類が、出アフリカという“グレートジャーニー”の末にたどり着いたのが、日本列島域ということなのです。
日本列島域へは約3万8000年前に移住してきたと考えられています。はじめに古本州島(現在の本州、四国、九州)に移住したようです。その少し後に琉球列島に出現します。つぎに、大陸の半島であった北海道に出現しました。陸続きであったのは北海道ルートだけです。その他のルートでは、大陸から朝鮮半島をとおり対馬海峡を渡り古本州島に至るルート。台湾を経て琉球列島に至るルートと海を渡らなければたどり着けないものです。
日本列島域に行き着いた人たちは、大海原を乗り切ることができる航海能力・航海術をもった人たちだったのです。太陽の位置や星の位置、そして風向き、波の向きなどによる航海術を駆使してきたのです。想像してみてください。例えば、銚子市の地球が丸く見える展望台に立って水平線の彼方をみて「あそこまで行ってみよう」という勇気・胆力が現代人にあるでしょうか。
日本列島の周りには、強い海流(黒潮・対馬海流)が流れ込んでいます。計画的に血縁関係のない男性と女性のグループや数組の家族が航海中の食糧や飲料水などを携えて周到な準備のもとに海を渡ってきました。そうして行き着いた先の古本州島や琉球列島での移住がなされたことから列島域に人々の暮らしが根付いてきたのでしょう。
また、そうした航海術は伝承されていったようです。縄文時代には丸木舟を使った交易も行われていました。神津島産黒曜石や貝を使った装身具などが海を渡っています。交易のためには、出発地から目的地までを往復することが必要です。水平線の先にある目的地へ到達し、帰ってこなければ目的は達成できないのです。もちろん、安定的な交易航路となるためには、いくつもの犠牲があったのだと思います。そうした経験を経て確立された航海術は縄文文化を支える基盤となっていると思います。それが、「海洋国家」としての現在の日本の姿にも繋がっているように思います。
なぜホモ・サピエスがアフリカを出てから数万年の「グレートジャーニー」を経て、日本列島に定住したのは必然なのか偶然なのかはわかりません。まだ見ぬ新天地を目指していった冒険心は、私たちの遺伝子に組み込まれ続いているはずです。そうした気質は、現代の私たちには少なくなってしまったかもしませんが、未知の新しい事象を探求していく姿勢は忘れてはならないように思います。
うむっさん


