夏は やっぱり甲子園!!
   
                                             ライター千遥


 
暑い、暑いと毎日ぼやいていたのに9月の声を聞いたら、急速に天候が変化した。こんどは急激に秋の深まりを感じるような状態になった。梅雨が早く始まり、早く終わったせいもあり、長い長い酷暑の今年の夏であった。連日気温は35℃を超え38℃は当たり前の日々で、役所、新聞、テレビなどのメディアも盛んに熱中症への警戒を訴えることが多かった。それでも、熱中症で搬送されたり死亡される方々は続出する一方であった。これが、やっとこの一週間変化をもたらせてきた。

 総務省消防庁は2013年9月3日、同年8月26日から9月1日の一週間における熱中症搬送人数が1977人(速報値)であることを発表した。前週の6027人(速報値からの修正済み)と比べれば約3割に減少している。また今年の熱中症による搬送人数の累計はこれで5万6172人となり、昨年の同時期までの累計数4万2121人と比べると約3割の増加を示している。なお今回週では初診時に熱中症を起因とする死亡者は、幸いにも一人も確認されなかった。
 


↑ 熱中症による救急搬送状況・速報値・2013年・人)


↑ 熱中症による救急搬送状況(該当週・日単位・速報値・2013年・人)



↑ 熱中症による救急搬送状況(年齢区分)


                    前橋育英が初の栄冠を獲得す

 今年ほど、「水はこまめに、塩分は欠かさず」とか「お年寄りは節電など考えるな」と言われつづけたのも珍しい。おかげでスーパーなどの塩飴は爆発的に売れたことだろう。こんな酷暑の夏でも阪神・甲子園では熱い戦いが続けられていた。

 初出場校同士の決勝戦となり、前橋育英高校が宮崎の延岡学園を1点差で破り初優勝を飾った。前橋育英は決勝戦までの6戦のうち、実に4戦が1点差の勝利であった。過去の優勝校2校を破ったことも大きい。
 何しろ、甲子園の頂点に立つためには、1回も負けられないトーナメントだから厳しい。優勝候補の一角であった昨年夏の優勝校・大阪桐蔭高校も2回戦で敗れ、春の優勝校・浦和学院も1回戦で仙台育英に敗れた。特に目立ったのは1点差試合が20試合もあり、9回二死からの逆転勝ちなどである。準々決勝は全4試合が1点差だった。こんな厳しさだから、どこのチームが勝ってもおかしくなかった、と言える。

 この準々決勝に日大山形と花巻東が勝てば、東北勢同士の決勝戦が見られたかも知れない。かの大震災で未だに避難する方々は、さぞかし胸驚かせたことだろう。花巻東などは昨秋の県大会では1回戦で敗退している。そのチームが、11か月後には全国大会の最後の4チームにまでなった。付近の中学校で見るひ弱な生徒が、高校生となると屈強な若者となる。伸び盛りのときを、如何に猛練習に取り組んだことか。22日で大会は終わった。熱い数々の試合が終わると共に、日本全土の人々を苦しませた暑い夏も終わったようで、朝夕の涼しさが秋の到来を告げ始めた。


                     野球留学生と甲子園

 東北から準決勝に進んだ日大山形と花巻東の両校には、共通点がある。指導者が地元出身で、選手もほぼ県内選手で占められていることだ。東北では以前から、関東や関西から「野球留学生」を受け入れる高校が台頭。夏の甲子園で昨年まで2年連続準優勝となった光星学院(青森)では、関西出身の選手が主力だった。その他青森山田や酒田南など数多い。
 今やプロ野球の楽天球団、と言うよりも日本を代表する田中投手も駒大苫小牧高を決勝戦に導いたが、田中を始め出場選手全員が関西からの「野球留学生」であった。競争の激しい関西よりも地方高校に行き、甲子園を目指す気持ちは分からないでもない。しかし、それほど勝敗に拘ることもないのではなかろうか。全力で強豪に立ち向かうことこそ、真の甲子園球児と思えて仕方ない。

  
  

  

                            
自宅のテレビから撮影


               監督の妻は「寮母」さん!!!

 華やかな試合の影に逸話あり。前橋育英の荒井直樹監督の妻寿美世さんは、野球部の寮母さんである。12年間、午前5時から朝食を準備。寮内の点検を済ませて午前0時に寝る。野球部は地元自治会の活動にも参加する。
 公園の花壇作りを手伝う。町内会の鈴木会長は、「部員から元気を貰っている」と、応援にもかけつけた。育英の校歌に地元・朝日が丘の歌詞が入っているので涙が流れて止まなかったと言われる。

 県内出身の部員ばかり39人で戦った聖愛(青森)の寮は「県人だけので甲子園」の夢をかなえる力になった。広い青森で、交通の悪い所の選手も入学出来るようにと、原田一範監督が自腹で買った。2階建ての中古アパート。ここに監督と妻佳澄さん、娘3人、寮母役の義母の一家と、選手11人が暮らす。相部屋の二人が青森大会では「同部屋本塁打」を打った。食べ残しが許されない寮でキャシャな選手も米を1日9合食べ、外野に打球が飛ぶようになった。

 このような話は、筆者の胸をキュンと突く。好きな言葉に「花よりも花を咲かせる土になれ」がある。まさに、多くの人々に支えられて甲子園出場を勝ち取ったわけだ。県内の予選で負けたチームでも、表に出ないだけで多くの努力、練習、共同生活などによって生徒たちは成長していく。
 これらの経験は社会に出た後、必ず身を結ぶことだろう。筆者はそれを期待してやまない。(C・W)