新たな出会い・研鑚・社会貢献の場を求めて


      熱き戦いは終わった

 
 実感としては、気象庁の発表よりも10日は早い梅雨明けから長い灼熱の夏が始まった。日課ともなった「暑い、暑い」の挨拶も、やっと終わりを告げる季節となった。その終わり方もまた激しい。劇的な涼しさが訪れたと思ったら、こんどは連日のように強烈な雷雨に見舞われている。

 当鎌ケ谷市では、殆ど経験したことのない豪雨だ。夕方近く空はあっという間に闇と化し、地面に突き刺さるように大粒の雨が垂直に降り注ぐ。農家の畑に穴が開くかと思うほどだ。空一面に稲妻が光る。そして恐ろしい雷鳴が轟く。当初は、のんびりと構えていた。そんな態度に雷さまは怒ったのか、落雷とともに停電である。可愛い息子(パソちゃん)も強制的に電源を切られてしまった。それ以来おっちゃんも、危険を察知したらコンセントを抜き、モデムとの配線なども抜いて息子は単独生活をさせている。今年の夏の最後のプレゼントとしては、あまり有難くないゲリラ雨である。

 その昔、おっちゃんが育った栃木の田舎は、まさに雷の名所であった。夏になると毎日のように夕立がある。当然そこには雷が伴う。電信柱のトランスに落雷することが多い。煙が立ち上り即停電となる。やや暫くすると天気は回復し、東の空一面に大きく綺麗な虹が浮かぶ。一雨あると、涼しさを増し心も洗われて、爽やかな気分になったものだ。そんな記憶が未だ鮮明に浮かぶ。

 いま考えれば、当時は優雅に夏を楽しんでいたようである。そんなことで、雷には慣れているつもりだったが今年の夏の終わりは、やはりおかしい。自然を無視した人間行動の積み重ねへの、しっぺ返しを痛烈に受けているに間違いない。


    

    
 
        
中国5000年の歴史は 壮大な開幕式で披露された

(写真引用は中国サイトより)



 
北京五輪を振り返る

 この8月は、夏の高校野球選手権大会と北京オリンピックが重なってしまい、高校野球が霞んだ印象もうけるが、そんなことはなかった。若人の溌剌たる選手権大会は、例年に決して劣るものではなかった。大阪桐蔭高校の圧倒的な力が目立ったものの、随所に好ゲームを見せてくれた。ただ毎年開催される高校野球と違い、4年に一度のオリンピックを各メディアが優先したのは、やむを得ない。

 17日間にわたるオリンピックが終わって、「ホッとした」とか「急に静かになった」という声が周辺でも多かった。まことに同感である。熱狂的なテレビの嬌声も聞かなくて済む。やっと日常の生活に戻り、皆が安らぎを取り戻したとも言えそうだ。

 これまでのオリンピックを見慣れた我々には、度肝を抜かれるような開幕式でもあった。そこかしこに、オリンピックを国威発揚の絶好の機会と捉える、中国政府当局の思索が見てとれた。開催に向けての準備は相当なものである。まずは競技場を作り上げねばならない。メイン会場となる国家体育場(通称:鳥の巣)はマスコミにも公開することなく、着々と建設を進めていた。
 農村からの出稼ぎである民工を安く使い、開催日のほんの直前まで工事を進めていたという。本当に間に合うかどうか怪ぶむ声もきかれたが、そこは共産党国家の面目躍如たるところである。全ては完璧に出来上がった。
 
 
聖火リレー

 しかし国家の威信構築に献身的に貢献した民工たちは、完成とともに宿舎も取り壊され出身地へと追い払われてしまった、と聞く。邪魔だ、汚い。「外国のメディアに恥部を見せたくない」といった理由だから、「貧しい人間の使い捨て」そのものとも言えそうだ。

 一番の難物は、聖火リレーだった。本来華々しく各国を回り、大いに大国・中国の存在を知らしめたいところが、チベット問題が公になり、通過する国々に自国の警備員を大挙派遣し、リレーの走者を守る有様となってしまった。チベットの人権問題は中国のアキレス腱であった。通過する国々でチベット支援のデモや騒乱が起き、それはまた、中国国内でのナショナリズムを煽ることともなった。在中国のフランス系スーパー、「カルフール」に対するデモや投石などは典型的なものである。


                    北京だけは 平穏だった聖火リレー

 

 世界各地に生活する中華民族は膨大な人数に上る。各地では、動員された中国人の赤い旗ばかりが目に付く。リレー走者は二重、三重の警察官や警備員の壁の中を走る。
 お蔭で、それぞれの地元の人々は自国のリレー走者も満足に見られない状況が続いた。日本でも、大使館からの要請で動員された中国人留学生が大挙して長野へと向った。学生の負担額はいかばかりかと思ったら、「私たちは1,000円を支払うだけよ」と、話していた女子学生の言葉が印象に残る。 日本以外でも多くの留学生が動員されたことだろう。
 過剰なまでの応援と警備は、皮肉なことに、チベットに対する中国の人権迫害を宣伝する結果ともなったようである。

 そもそも聖火リレーなるものは、第11回ベルリンオリンピックから始まったものである。ナチス
が大衆の感情を高揚させるために集会を夜に開き、軍事組織である突撃隊に「たいまつ」を持たせて行進させた。それが聖火の発端という。ドイツ宣伝省はオリンピック開催に当たって、「火を運ぶ」というイベントを思いついたそうである。オリンピアからベルリンに運ぶ火を聖火と呼び、神秘性を持たせたと言われている。一説にはスパイ活動に利用したとの話もある。

 金メダリストの国旗掲揚も国歌斉唱も、ベルリン大会から始まった。戦後、ナチズムは完全に否定されたが、ヒットラーの遺産は脈々と受け継がれ、益々磨きがかけられているようにも見える。足を高く上げて行進するロシアや中国、北朝鮮などの軍隊の行進は、ナチスドイツの行進にそっくりと思われて仕方ない。こんなものは、ナチスの遺産と思いたくないのだが....。軍人の勇ましさと国家への忠誠心は、行進でしか示せないものなのかな。

(写真引用はSponichi Annex及びasahi.comより)



         
 
               
開幕式前のヒトコマ
 
 応援のリハーサル 選手村の子どもたち 表彰式のレディたち 開幕前の国家体育場

(写真引用は中国サイト、Record Chinaより)


 変貌する五輪  ど派手な開幕式は北京で終わりか

 張芸謀監督が周到に準備を進めた開幕式や閉幕式は、まさに中華民族が総力をあげたイベントであった。「人の数は凄いパワーになるんだなあ。これだけ一糸乱れぬ姿を作るのに、どれだけ膨大な時間を練習に費やしたのだろう」とは、ある人の言葉である。
 真にそのとおりと思う。イベントの内容よりも、そちらに考えがいってしまうのは、生来の貧乏性のせいだろうか。そんなことはあるまい。つぎのロンドンは、紳士の国、成熟した英国の姿をみせてくれるものと信じている。ど派手な開幕の式典は、恐らく北京で終わりとなるであろう。

 史上最多の204か国・地域、選手・役員が16,000人が参加した北京五輪は閉幕した。 競技面を見れば、マイケル・フェルプス(米国)が前人未到の8冠を達成。9日間で17レースを泳ぎ、うち7種目で世界新記録を打ち立てるという驚異的な活躍だった。陸上では、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)が男子100m、200m、400mリレーすべてで世界新の3冠。水と陸の“超人”が大会の顔となった。一方で、中国最大のスターである男子110mハードルの劉翔が棄権するという衝撃の出来事もあった。

 開催国・中国は51個の金メダルを獲得し、米国を抜いて一位となった。6月26日付け在日華僑向け新聞「東方時報」によれば、「中国奥運至少50金(五輪で少なくとも50個の金獲得)」とあった。お家芸の卓球では、金銀胴を独占。得意とする飛び込みや体操でも、他国を寄せ付けない強みを発揮しメダルラッシュに沸いた。いわば、目算どおりの成果を得たということだろう。

 中国で最も人気のある日本人3人は北島康介、福原愛、それにシンクロコーチの井村雅代である。特に福原は抜群の人気がある。中国選手と福原との試合では自国の選手よりも、福原を応援するほうが多かったようだ。それだけ、かの国に余裕があったと言えよう。
 女子シングルスで五輪2連覇を達成した選手(26)は、「有夢想就有未来(夢があれば未来がある)」の標語が掲げられた北京の選手養成学校で鍛えあげられてきた。小学生から大学生まで、300人が寮生活で卓球や体操など6競技を学んでいる。勉学費用は個人負担だが、そのほかは北京市と協賛企業がまかなう。こんな育成機関が市や省ごとに整備され、優秀な選手は国家チームに選抜されるわけだ。

 底辺が広いから、国家チームに入れなかった選手は世界各国に国籍を移し、五輪に出る。しかし、ご本家には勝てぬようだ。日本の第一人者、平野早矢香などはコーチもおらず、練習場の2階に一人住いとか。まるで環境が違う。これでは勝てぬ。ナデシコであろうとも...。

 日本は、04年のアテネ五輪での大躍進からは大きく後退した。2大会連続の2冠を達成した競泳の北島康介を始め金メダリストのうち、6人はアテネからの連覇組。フェンシング銀の太田勇貴、体操個人総合銀メダルの内村航平、柔道の石井慧などの有望選手が出てきたものの、むしろベテランが際立った大会であった。4年後に向けて大幅な世代交代が差し迫っている。
 金メダル二桁、総メダル30個の目標には、遠く及ばなかった。もうちょっと頑張ってくれぬと、次回はテレビ離れが益々加速されそうだ。

        

           
             

(写真引用はSponichi Annex及びasahi.comより)

     

 8月8日、開幕式の当日にロシアがグルジアに進攻し、戦争状態となった。五輪からの引き上げも検討したグルジアは踏みとどまった。そして劇的なシーンが生まれた。女子の射撃で、一位のロシア選手と二位のグルジア選手がお互いの健闘を祝し、抱き合ったのだ。まさに政治とスポーツは別物を見せてくれた感動のシーンであった。
 一方、日本の新聞の手回しの良さも目だった。メダル獲得選手の美談が、その日の夕刊には次々と出てくる。予想される選手に関して、かなり細かく事前取材し、「コーチと選手、姉妹愛、父と娘」などが美談として紙面を飾る。偽りはないと信ずるが、良すぎるタイミングは疑う余地もあり...?
誇張はいけない。
 産経ネットではレスリングの吉田沙保里選手が優勝したのに、負けた記事を流してしまった。二つの記事を用意していたわけだ。こういうこともある。ネットでの発信は、くれぐれも慎重に...!

 朝日川柳に、「五輪記事 まとめて読むと 白々しい」とあった。  自戒の念で一杯である。 (C・W)