ふるさと日記 上

                                                              松永 泉


  久しぶりに晴れ上がった10月の金曜日、国道18号を経て新4号に入り宇都宮方面へと向かった車は9月に購入したばかりのトヨタ・ヴィッツ。これまでは娘の三菱ミラージュを借りていたが、購入後10年目にして、あちこちに不具合な部分がでてくるようになった。
  最近はエアコンが故障してしまい、猛暑の夏はまったく利用価値がなく、車庫に鎮座していることが多かったのである。修理したとしても、来年早々には車検費用も重なる。それならばーと、今度は私が所有者で、娘には貸してあげる方法に切りかえることにした。所有者の名義が変わっただけで、みなで乗ることには変わりはない。

 

 車を変えてから始めての長距離ドライブは、私の故郷訪問ということになった。栃木県の今市市というところである。情報の伝達が新聞とラジオだけのときは、「今市」から来たといっても、おおかたの人にはその町が一体何処にあるのか理解してもらうのは難しかった。
  それで、いちいち説明するのも面倒だから、「日光」の隣りだよ、と話していたものである。「日光を知らずして、結構と言うなかれ」などといわれていたから、それ以上の説明を求める人はあまりいなかった。 

  そんなことで、「日光」の存在は私にとって、とてもありがたかった。ヴィッツは1300CCの小型車であるが、新車ということもありよく走る。途中、車の多い新4号では周りの景観もあまり芳しいものではないが、小山から宇都宮に近づくにつれ、日光連山がチラホラと見えてくる。国道4号のバイパスとして作られた新4号には、あまり信号がない。それで結構快適なドライブができる。そんなことで、ふるさとへの走行では、私は滅多に東北高速道には乗らないことにしている。


  新4号から日光・今市方面へ入ると119号(日光街道)になる。部分的には、宇都宮市郊外の環状線でもある。宇都宮市街地を抜けるあたりからは、ズーッと桜並木が続く。
  春4月には、道路の両側に植えられた桜のトンネルを通りぬけていくのが嬉しい。両サイドからの桜の花が、スッポリと道路を覆う。これは、なかなかの景観であり見ごたえがある。この並木を過ぎると今市市になる。

  ややしばらく走ると、道沿いに日光杉並木の巨木が視野に入ってくる。私は見慣れているからあまり感じないが、初めての方にはかなり刺激になるだろう。車が少なければ、ぜひ窓を開けて走ることをお奨めしたい。
  なぜかって、それは空気がまったく違うからだ。とにかく、日頃吸いなれている都会の感じと違うことがはっきり分かるから不思議なものである。緑の木々から吐き出される新鮮な酸素を頬に、そして身体いっぱいに吸い込んで快適に走るのは何とも気分がよい。


 
  杉並木は途中で途切れたり、また現れたりするが、今市市を過ぎて日光市街地の入り口まで続いている。そして、ちょうど今市市で日光街道と例弊使街道、それに会津街道の三本の街道が交差する。

  10月から11月の紅葉の季節ともなると、日光街道は完全に渋滞し、都会並みの混雑を呈する。車のナンバープレートも、横浜や浦和、杉並など首都圏各地のナンバーばかりになってしまう。毎日が日曜日でもある私は、土曜日や日曜日を避けて出かけることにしている。

  そうすれば、紅葉の季節でもまずまずそんなに苦労することもなく、故郷に行くことが出来る。


  2005年の4月には、日光市や今市市などの5市町村が合併して「日光市」となってしまう。今市市は今年、市制50周年を迎えた。人口は63,000人で、もっとも多い。50年前でも30,000人であった。倍増しているが、増加数はたいしたことがない。
  一方、年々減少しつつある日光市はやっと30,000人に過ぎない。しかし合併市の名前は知名度抜群の日光市が選ばれたようである。今市市出身者としては、とても残念だが仕方ない。新しく誕生する市は、上記の図に見るように栃木県の面積の四分の一を占める。この広さに対して、総人口は10万人ちょっとにしかならない。

 

  だからあちこちで、豊かな自然を満喫することができる。それが、ふるさと「今市」とその周辺なのである。(つづく)
 


次へ