林 幸治

 日本との時差1時間。現地時間午後4時、私の乗った中国東方航空機は上海浦東国際空港に着陸した。これまでは虹橋空港(今は国内線専用)で発着していたので、ここは始めての場所だ。3年前に完成したとあって、まだ新装開店の雰囲気がある。よくある油臭さが鼻につく中国のにおいがまるでない。それに空港ビルのでかいこと。直線で4百メートルは歩いただろうか。入関を無事通過し、預けたバッグもすぐ出てきた。出口は迎えの人で混み合っていた。初の中国単独行、いささか不安もあったが、出迎えの上海事務所の潘さんをすぐ見つけることができた。というのも、「歓迎 林幸治先生」と書いたダンボール紙を胸に掲げていたのが潘さんだったからだ。私が「先生」? これは「教師」の意味ではなく、「X×さん」なる男性に対する敬語だ。気にすることはない。

 地図上では、東海(東シナ海)に面した浦東国際空港から上海の都心まで近距離に思えたが、実際は50キロメートルはあっただろう。潘さん運転の車は、料金不要・片側3車線の高速道路を快適に飛ばす。つい最近、定員数の客を乗せて試運転したリニアモーターの跨線が並行している。都心こ入る前に、黄浦江に架かる揚浦大橋を渡る。東京のレインボーブリッジや横浜のベイブリッジに比肩する美しくて、スケールの大きい立派な橋だ。
 環状高速道の両側には高層マンションが林立し、その数量に圧倒される。この大都会はどれだけの人間を呑み込んでいるのだろうか。日本語を喋れる潘さんの話では、メキシコシティー、重慶に次いで世界第3位の人口で、およそ1500万人が住んでいるという。2010年の上海万博開催に焦点を合わせ、この大都市は再開発、大改造でダイナミックに変貌を遂げつつある。この機会に激動する上海の現在をしっかりウオッチしていこう。

 2003年2月27日。かくして、私は上海にやってきた。あるメディアの上海事務所駐在の日本人スタッフを指導するため、1週間の滞在予定で春浅き上海を訪れた。宿泊先は、長寧区天山路の小さなビジネスホテルで、そこから歩いて20分くらいの所に上海事務所の入る30階建てのオヒィスビルがある。この日は、スタッフと顔合わせのあいさつ程度で事務所をすぐに辞去した。そして、同じビルの1階にあるレストランで潘さんと夕食を共にした。麻婆豆腐、チャーハン、野菜抄め、玉子スープ。私に気をつかって、日本人好みの料理を選んでくれたようだ。

外灘の東方明珠テレビ塔 旧租界の壮麗なビル建造物

 さらに潘さんは気を利かせてくれ、ホテルに帰る前に夜の上海をドライブしてくれるという。外灘(バンド)まで高速道路で疾走した。上海の名所・外灘の夜景は世界有数の絢燗さを誇っている。20世紀初頭に当時の外国人居留地、すなわち租界の外灘に建てられた壮麗なビル建造物は、百年後の今日、ライトアップされて夜空にきらめいている。黄浦江の対岸にそびえる東方明珠テレビ塔の姿は、未来都市そのものの光を放っているようだ。ここには旅人の心を掴む郷愁と華やかさがある。潘さんに、感激の思いを率直に伝える。
彼は上海生まれ、上海育ちの30代半ば。「10年前、20年前には、私もこんな素晴らしい街になるとは思ってなかったよ」と控えめに自慢した。

 翌々日の3月1日。朝食はおかゆ、豆乳、目玉焼と軽めで済まし、8時半にはホテルを出た。この日の仕事は、事務所に午後行けぱよかった。とすれば、午前中は上海のあちこちを貧欲に見て回ろうと決め、近くのバス停に向かった。タイミングよく来たバスの行き先が「外灘」と書いてあったので、乗ることにした。バスの運賃は1元(15円)。土曜日なのに、バスの中は満員に近かった。日本式の土日連休ではない職場が多いのだろうか。想定外の通勤ラッシュである。40分ほど乗り、外灘に近い延安東路のバス停で下車する。
 2日前に車の中から見た素晴らしい夜景の外灘も今日は薄い霧がかかっていた。黄浦江も、レトロなビル建物群も霞んでいた。5百メートル近いテレビ塔のてっぺんなどは雲の中に姿を隠している様相だ。黄浦江の流れを右に見ながら、黄浦公園を北に歩く。河には小さな貨物船がひっきりなしに行き交う。左側には重厚な歴史的ビル建造物が次々に視野に入ってくる。現在は政府関係の建物がひしめき、その屋上には五星紅旗がひらめいている。

 ここで、私は「事件」に遭遇することになる。
 なんと、切り絵画家のおじさんに捕まってしまったのだ。独りであてもなくぶらぶら歩いているのは、隙を見せていることと同じか。私と同年代の60前後のそのおじさんは、ニッコリ私に接近してくる。日本語はぺらぺらだ。まず私が日本人であることを確かめたあと、「いつ上海に来たのか?」「中国旅行は何回目か?」「仕事は何をしているのか?」などとジャブを投げかける。私も暇はたっぷりある。適当に相槌を打っていると、おじさんは自分に対する私の猜疑心を払拭するかのように、名刺を差し出す。「上海△△画家協会理事」などと記されている。立派な御仁らしい。「来月には日本に行って、立教大学で日中画家の交流会に出席する。ついては旅費の一助になるよう、私の作った切り絵を買ってもらえないだろうか」と、本音で迫っているようだ。

 どこまで本当の話なのか? 90%は虚偽だろう。それを承知していても、相手のぺ一スに乗せられてしまう。奥さんらしき女性も隣にいて、妙な安心感も与えているのだ。そのおじさん、私のことを「若く見える」だの、「中国語がうまい」だのミエミエの世辞を言って、褒めまくる。結局、その場で即興に私の似顔の切り絵を作り、加えてすでに用意された中国の獅子舞や子供の晴れ姿などの切り絵3枚を無理やり押しつけ、「千円ほしい」と言う。こういう攻撃に日本人は、いや私は弱い。黄浦公園内の路上セールス攻撃に私は負けて、言われるままに千円札1枚を渡してしまった。

 お恥ずかしい語だが、私は以前にも上海で同じ轍を踏んでいる。懲りないというか、学習能カの欠如というか……。それは1997年夏のことだった。サラリーマンだった私は出張旅行で上海に立ち寄った。この時は、旧フランス租界にある高級ホテルに宿泊した。同行者もいたが、私は独り早起きして、夏休みで混み合う上海駅の雑踏風景を見物に行った。その帰り、地下鉄を陜西南路駅で下車して、ホテルに向かっていた。日本でもそうだが、憤れぬ土地を地下鉄で移動し、いきなり地上に上がると方向感覚を喪失してしまうことがある。ホテルが見つからず、いささか焦り気味にキョロキョロしながら歩いていたに違いない。そんな時に、2人組の切り絵おじさんに出くわしたのだ。
 彼らは日本語ば下手だったが、こういう趣旨のことを言う。「我々は労働者で、いま出勤途中だ。仕事場では工業デザインをやっている。でも、給料が安い。だから、こうした切り絵の内職で糊口をしのいでいる。我々を助けるつもりで買ってくれませんか?」。私は、この手の泣き落としにも弱いクチなのだ。この話も90%は嘘っぱちだろう。ここでは切り絵5枚で、代金は千円。新聞紙に包まれた切り絵は、まさに手製そのものだった。

 さて。お気づきかもしれないが、この2つの「切り絵売り」には共通点がある。
 まずは、売り手が路上の2人組であること。単独だと疎まれるが、2人だとソフトタッチに「カモ」に近づき、それぞれが演劇的役割を分担しながら成果を上げられる。次に、商品価格が千円だということ。この千円が、実に絶妙な価格設定なのである。千円札1枚の価値は、日本人にとって、結果的にニセ物、粗悪品を掴まされたとしても、「ま、いいか。千円で珍奇な外国体験をしたのだから。ニセ物自体が旅行のお土産話になる」程度の捉え方ではないだろうか。本気で腹を立てるほどのことはない、と。
 こういう「寛容な」平均的日本人旅行客が、「賢明な」中国人路上セールスマンの絶好の狙い目になっていることだろう。中国人にとって千円(66元)は、それなりに重みのある金額である。私が今朝、外灘まで利用したバス料金は1元だった。地下鉄だって2〜3元で乗れる。5元で毛糸の帽子だって買える。上海に限らず、北京の万里の長城や、西安の兵馬俑博物館など国際的観光地は日本人観光客であふれている。そこには決まって、日本人の「カモ」を虎視眈々と狙う中国人路上セールスマンが現れて、「センエン、ヤスイヨ」と何かを巧妙に売り込んでくる情景が展開されている。あなたなら、どうする?

 その後、外灘から福州路に入り、西に向かう。福州路は戦前は「四馬路」(スマロ)と称され、流行歌にも歌われた上海有数の歓楽街だったとか。いまここを歩いて昔日の甘い面影を探すのは、日本人の勝手なノスタルジーというものだろう。途中から右に折れ、南京路を目指したが、すぐ着いた。南京路には大都会・上海を代表する大繁華街がある。ここを歩くのは6年ぶりだか、大きく様変わりしているのには驚いた。2010年の上海万博を見込んで、通り自体が「南京路歩行街」と命名され、歩行者天国になっているのだ。

 明るく、洗練された南京路はテーマパークのように楽しい。以前に目にした光景は車、バス、バイク、自転車、そして人、人、人の群れと排気、騒音、渋滞、窮屈が織りなす図絵だった。それが華麗に変身した。昔からの老舗、海外の高級ブランド店、百貨店、それに中国では先端を行く数々のファーストフードの店が軒を並べている。私は午後の出勤の前に、この界隈で早めの食事をしようとした。牛丼にするか、ラーメンにするか。短時間悩んだ末、「札幌みそラーメン」の店を選んだ。1杯12元。拉麺の本場・中国で、日本元祖のみそラーメンを食べるとは、これ如何に? にしても、美味しいラーメンだった。

 単独の上海行から、3年たった。私の部屋には、例の切り絵の入った3つの額縁が壁に掛かっている。切り絵はいずれも10センチ四方の寸法なのだが、けっこう存在感がある。それぞれが「世界でたった一つ」の手作りの作品だからか。よくよく考えれぱ、ニセ物も本物もない。値段が高い、安いの問題でもない。素人作、玄人作、とちらでもいい。強引に買わされた観がなくもないが、要はそれを所有する当人が気に入るようになってくれぱ、それはそれでよし、なのである。
 私は時々、部屋の切り絵を眺めている。そして、中国語の最近の流行語を思い浮かべたりする。その言葉は「酷」、クールで、イカして、カッコいいと言う意味がある。