心のすき間を突く罠



 9人の若い人たちがその犠牲になった座間9遺体事件。心からご冥福をお祈り申し上げるとともに、ご遺族の辛苦はいかばかりかとお悔やみを申し上げたい。

 驚愕のその事件。いまだ全容は解明ができていないようだ。犯人の男はどのような人間なのか。9人を殺めて何をしようとしたのか。警察での捜査を待たなければならないのだが、なるべく早くその全容が解明されることを祈るばかりだ。

 SNS。若い人たちにとっては、コミュニケーションのすべてといった、なくてはならないものとなった。この事件ではTwitterが利用された。SNSの特性に、秘匿性があるのだが、この特性が使われた犯罪行為が頻発している。発信者が意図的にその存在を秘匿しようとすれば容易に行える状況にある。
若い人たちは、Twitterを「コミュニケーションの道具」だとする位置づけになっていないように感じる。Twitterの世界が、すべての生活空間となってしまっているかのようになってしまっているのだろう。この事件でも被害にあった方は、実際のフェイスToフェイスの交流のなかでは、埋められないものをTwitterの中に求めたのだろう。


 多くの人は、悩み、苦しみ、恨み、哀しむ何某かの「心の闇」を抱えながら生きている。というのが生きてるということでもあろう。
 抱えきれなくなった「心の闇」のすきを突き「狂気の悪」が忍び込む。言葉巧みに近づき、あたかも理解者であり救済ができるかのように振る舞う。その本質は、己の欲を満たすため、手段を選ばずに、自己欲求を充足させていく。肥大化した自己愛、極限の欲望に駆られた「狂気」がそこにはあるのだろう。そうした「狂気」にさらされているというのが現状だと認識することから、悲しい事件を防いでいくことができるのだと思える。

 SNSは非常に優れた情報通信手段であり、実際として有用に活用されている。その根本には「性善説」による利用者像があると思うが、それを覆してまでも「規制」をすることは、SNSを含む情報社会の根底を否定しかねないばかりでなく、リスク管理としても不十分ではないだろうか。
 SNSに潜む「心の闇の罠」をどうリスクヘッジするか。その手段は、方法はという問いに有効な解はないという状況だとしか言えない口惜しさ。どうか、「心のすき間を突く罠にかからないで」と祈るしかない虚しさを感じている。       
うむっさん
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