初夏の候 若者の活躍に思う

ライター千遥



 5月も末になると、さすがに日中の外出は暑さを感じさせる。毎日の挨拶も「暑いですね〜」と変わってきた。つい先日まで寒い寒いと桜の季節を待っていたと思うのに、月日の経つのは早いものだ。あっ、と言う間に退職後15年も経過してしまった。幸いなことに、過ぎし日々を振り返ってみて退屈する生活は無かったから、まあ喜ばしいことと自答している。
 世の中は、相も変わらず物騒な事件や事変が絶えることなく起きている。同一の民族・国民同士の争いも止まらないままだ。覇権国家は益々勢力を強めて、他国を圧する。わざわざそのような行動に出なくても良さそうなのに、果てることなく地球の隅々まで影響力を伸ばそうとする。武力を背景とする動きは、一触即発の事態を生む。「歴史を忘れるな! 」と言いつつ、その歴史を繰り返す。過去の悲惨な出来事を反省しない為政者たちには厭きれて物も言えない。今回の前書きはこの程度にしておこう。

 「65歳以上の高齢者」は、もう一昔前になり今や「本物の高齢者」となった筆者。元気なうちは人の為にと、登校する小学生を交通事故から守っている。横断中と書かれた黄色い旗をもち、「千葉県交通安全推進隊」の帽子をかぶり自宅近くの信号のない三差路に立つ。「おはようございます」と声をかけてくれる可愛い生徒たちを見ると、一人でも事故から守る、と言う使命感も生まれる。
 
 この小学校からは毎年、運動会や六年生を送る会への招待状が届く。出かけて行くと、我々の仲間が集まっている。「送る会」では六年生は在校生の作る輪の中を潜り抜けて、講堂の一段高いところに腰かける。その前で、五年生から一年生までが、それぞれの出し物を披露していく。
 この催しでは、先生の出番は殆どない。進行係は五年生だが、実に巧みにその役目をこなす。四年生から一年生まで、各学年の演技の前に述べる六年生へ送る言葉も素晴らしい。六年生全員のお返しの演技、そして最後は先生たちの歌。校長先生の励ましの言葉で終わる。我々ボランティアは、六年生から手作りの小品を頂いて帰るのが通例である。

 そんな行事も終わった4月の或る日のこと。団地内を駐車場に向かって歩いていたら、「おじちゃん」と言う声が聞こえた。「おじいちゃん」ではなかった気がする(^o^)。振り向くと可愛い女の子がいる。「中学生になったよ〜」と言う。おめでとう! がんばってネ。と、応えた。どこの子か分からないが、先方はこちらの帽子で見分けがつく。これは嬉しい。健康であれば、未だまだ続けていく気持ちも湧いてきた。本当にありがとう、ネ。



様々な分野で若者の活躍が目立つ

 一介の年寄りである筆者から見ると、最近は各分野において若者の活躍が目につく。先日NHKのテレビで小学生将棋大会を見た。決勝戦のみであったが、白熱した戦い。小学五年生がきわどい接戦を制し、優勝したけれど、二人とも素晴らしい才能を持っているものと感嘆した次第。対局が終わって、表彰式となる。アナウンサーが三位までの4人に「将来の夢は? 」と問うと、全員が「プロ棋士を目指す」と、よどみなく答えていた。
 
 その昔自分が中学生の頃、近所のお兄さんと薄暗い電灯の下で蚊に刺されながらも、縁台将棋を打っていたことを思い出す。また高校では授業中に、机の引出しから将棋の駒をバラバラと落としてしまい、慌てたこともあった。初段程度までいったつもりだが、今の小学生の頭脳には到底歯が立たない。とにかく現時点で、将来をはっきり見据えた子どもたちの心構えは真に見事なものである。


  
 





 学生時代以降、趣味はと問われると「囲碁・将棋・マージャン・パチンコ」と返事していたが、囲碁の世界でも変化が出始めてきた。錚々たる棋士を打ち負かす若手が頭角を現し始めた。

 世界の若手1を決める大会として創設された第1回グロービス杯世界囲碁U-20(東京都千代田区・グロービス経営大学院)は5月11日午後に決勝戦が行われ、一力遼七段許家元二段の日本勢同士の対戦となり一力が黒番中押し勝ちを収め、初代優勝者となった。世界戦では17年ぶりの日本勢同士の決勝戦だった。日本勢同士の世界戦決勝は1997年の第10回富士通杯(小林光一九段―王立誠九段)以来17年ぶりだ。最近の世界大会では中国や韓国に勝てない日本の囲碁界としては、久しぶりの快挙である。

 一力七段は仙台市出身の高校2年生。昨年の阿含・桐山杯全日本早碁オープン戦でベスト4入り、今年3月には棋聖戦リーグ入りを果たし、規定により、四段から七段へ飛び級昇段した。グロービス杯は、日本、中国、韓国、台湾、欧州、北米、オセアニアの7カ国・地域の代表16人がトーナメントで戦った。

 またプロ棋戦七大タイトルの一つ本因坊戦では、鬼才井山祐太本因坊(24歳)への挑戦者は伊田篤史七段が挑戦者決定リーグ戦で並み居る強豪を倒し、挑戦権を得て現在井山本因坊と対局中である。伊田七段は19歳。昨年度日本棋院勝ち星ランキング3位。その他、多くの10代の若手が続々と台頭してきた。過去に実績のある強豪棋士も、おちおちしていられない状況だ。

 アマに目を向けてみよう。高尾紳路新十段(37)がタイトルを奪還した第52期十段戦五番勝負。第3局は長野県大町市で行われるのが恒例で、21年連続開催だった。直前にはアマ大会も実施され、大人を破って小学2年生が準優勝した。
 3月29日に行われた第10回アルプス囲碁村十段戦には、大町市とその周辺に住む小学生から80代までの愛好家58人が参加した。上位3人へのごほうびは、十段戦前夜祭(4月9日)に招待され、プロ棋士と対面できることだ。今年2位に入ったのが、最年少8歳の北沢明良大(あらた)君。対局者の棋力差によって石を置くハンデ戦形式で、5人に勝利。1級で申し込み対局したが、3年生になった現在では初段の力があると認定された。
 明良大君は、幼稚園・保育園で囲碁の前段階である「石取りゲーム」から囲碁にのめり込んでいったという。大町市や秋田県大仙市など10市1町は毎年、囲碁サミットを開催し、囲碁の普及についても話し合っている。
 頭が柔らかい幼少期に、遊びの一種として囲碁を体験させるのも、長く親しむために効果的な方法かもしれない。



   
   


 
 スポーツ界に目を転じてみよう。
 女子ゴルフ。4月20日、女子プロゴルフ「KKT杯バンテリン・レディス(賞金1800万円)」で史上最年少優勝を飾った若手凄腕女子ゴルファーが現れた!その名は勝みなみ。若干15歳!鹿児島高校に通い出して10日目1年生である。なんと中学生のうちにスタジオアリス女子オープン、そしてニュージーランドアマチュアゴルフ大会でも優勝していたことが分かった。アマゆえに賞金はもらえないが、その記録は中途半端ではない。
 
 身長:157cm、体重:56kg。スポーツ選手としては小柄だ。何処にこんなパワーが隠れているのだろう。昨シーズンまで中学生だったにも関わらず、通算3アンダーだったと言う。小学6年生の時、すでに5連続バーディーを見せるほどの凄腕だったと言われる。因みにスコアは67。小学6年生の女の子のスコアとは到底思えない。九州女子アマを史上最年少の13歳10か月で優勝。その他、数々のタイトルを獲得している。

 今や勝みなみだけではない。10代のアマゴルファーが、プロのツアーで上位を占めることが多くなったのが現状だ。テレビで見ても、実に堂々たるプレーである。プロと比べてもひけをとらないプレーぶり。あまりのヘタさに、退職後にゴルフ道具一切を捨ててしまったのが我が身。やはり若いうちに目標を設定し、徹底的に訓練したであろう彼女たちに心より敬意を表したい。



  




 日本古来の大相撲は、どんなものだろう。かつて千代の富士、北の湖、若貴時代は昔の出来事になってしまった。現在は朝青龍の後を引き継いだ白鵬が第一人者。つづく日馬富士、鶴竜の3横綱は全てモンゴル出身だ。
 日本人横綱の誕生は3代目・若乃花が平成10年(1998年)3月・5月場所に連続優勝し、場所後に推挙されたのが最後。日本人横綱の最後の引退は貴乃花が平成15年(2003年)1月場所中に引退。これにより翌場所より日本人横綱が不在。これではモンゴル相撲を見ているようなものか。場内に掲げられる歴代優勝力士32枚の中に日本人力士はいない。
 こんな状況下でも、5月場所幕内取り組みへの懸賞は15日間で1165本となり、夏場所としては07年の1109本を上回る最多。過去最高記録の初場所1198本、春場所1166本に続き、初めて3場所連続で1100本を超えている。 最近の企業の収益改善による、広告費アップが裏付けられていると言われる。
 先行きどうなるかは不明だが、5月場所にやっと、まげがゆえるようになった若手力士・遠藤の存在が見逃せない。
  
 幕内になると、楽しみなのは1本6万円の懸賞金。遠藤の獲得本数は、昨年末までの入幕後2場所で43本だったが、初場所だけで85本。入幕3場所で100本を超え、1990年代に人気を集めた若貴兄弟の入幕5場所より早かった。因みに5月夏場所は85本で4位だった。

 5月場所は7勝8敗と負け越したが、イケメンで女性に人気があり、かつガッツのある遠藤に期待するところは大である。




プロ野球ルーキーの活躍ぶり

 野球名門校で活躍する球児たちの望みは、おおむねプロ球団への入団と推測する。甲子園を沸かせた早実と駒大苫小牧の決勝戦。ハンカチ王子こと斉藤祐樹の早実が駒大苫小牧の田中将大に投げ勝ち、優勝した。その後斉藤は早大に入学し、田中は高卒新人として2007年プロ球団・楽天に入団した。田中は一年目に11勝をあげ、高卒新人では歴代二位の198の奪三振で新人王を獲得した。
 そして2013年には24勝0敗、前年からの連続勝数を30まで伸ばし大リーグ・ヤンキースに移籍。米国でも移籍金額に見合う活躍をしている。

 一方の斉藤は2010年のドラフトで4球団に指名されたが、抽選で日本ハムに入団する。
一年目の2011年は6勝6敗で、まずまずのスタートを切った。翌2012年は開幕戦に先発し見事初完投勝利をあげた。しかし、肩の故障などもあり9敗を喫した。 2013年は前年の右肩痛の影響もあり二軍スタート。2軍で試合で9失点を喫した後に復帰を果たすものの、5回もたずKOされ、1軍での登板はその1試合のみに留まり、2軍での成績も1勝3敗、防御率8.61に終わった。
秋のフェニックス・リーグでも中盤に打ち込まれる場面が目立ち、1勝2敗、防御率7.18でシーズンを終了した。
 * 齋藤が日ハムに入団し、二軍の本拠地・鎌ケ谷市にきたときはハンカチ王子を一目見ようと、多くのオバちゃんたちが押しかけてきた。このとき、朝日新聞夕刊のコラム素粒子氏は「齋藤で、かまがやは街起こし」などと書いた。ルーキー齋藤は、直ぐに一軍の北海道に行くことが決まっていた。この記事を見て、何が街起こしになるのか、サッパリ理解出来なかった。朝日記者の見識を疑い問い合わせた。が、結局返事はなかった。


 





 5月29日、齋藤はイースタン・リーグ 西武―日本ハム(29日・西武第二)に先発した。以下はスポーツ報知より抜粋。

  【日本ハム】佑、2軍戦で炎上6回6失点 観客からヤジ「大谷見習え!」
 日本ハム・斎藤佑樹投手(25)が29日、イースタン・リーグの西武戦(西武第二)に先発し、6回6安打6失点と打ち込まれた。初回無死一、三塁から二ゴロの間に失点すると、1点リードの4回には斉藤に右越えへ特大のソロを打たれるなど、大量5点を奪われた。
 2軍戦に登板した8試合のうち6試合で被弾と、球に本来の力は戻っておらず、観客からは「大谷を見習え!」と辛らつなヤジも飛んだ。1軍復帰への道は険しそうだ。

 一方、同じ日ハムに昨年入団した高卒ルーキー大谷翔平は、打者として一軍に登録。プロ野球では珍しい打者と投手の二刀流。以下スポーツ報知より抜粋。

  【日本ハム】大谷、プロ自己最速タイ158キロでバレ斬り「さすがに力入った」
 交流戦 ヤクルト4―4日本ハム=延長12回規定により引き分け=(28日・神宮)
 日本ハム・大谷がバレ斬りの熱投を披露した。7回にはプロ入り後自己最速タイとなる158キロをマークするなど、バレンティンを4打数無安打と黙らせた。大谷は7回7安打2失点で勝敗つかず。試合は延長12回、4―4で引き分けた。
 スタンドのボルテージが最高潮に達し、大谷の右腕にも自然と力が入った。1点ビハインドの7回2死一、二塁で迎えたのはバレンティン。
 初球から154キロをマークすると、1ボール2ストライクからの4球目、高めのつり球は60発男のバットをかすめ、プロ入り後自己最速タイとなる158キロを計測した。「得点圏の場面で3度バレンティンと勝負した時は、さすがに力が入りました」。続く5球目、外角スライダーで中飛に仕留め、7回2失点でマウンドを降りた。


 昨シーズン60本塁打の日本記録を打ち立てた強打者・バレンティンと真っ向勝負する大谷(19)。身長193センチで体重は90キロ。昨シーズンは3勝0敗、今シーズンは現在4勝1敗。打者としても、3割弱の打率で本塁打や三塁打も打っている。甲子園の球児ではないが、体格にも恵まれグイグイと突き進む。
 各球団には毎年10名程度の新人が入団する。その陰で、人知れず同数の選手がお払い箱になり去っていく。
 筆者は、鎌ケ谷の日ハム球場で、スタンドにも入らず外野の芝生席の外で二軍の試合を見つめる女性を見たことがある。「どうしましたか」とお聞きしたら、遠く関西方面から息子の様子を見に来たとのお話であった。脚光を浴びる選手は一握りである。プロ野球の選手も難しい。
 大谷に比べれば二回り位も小柄な斉藤祐樹。何とか早めの一軍復帰を祈念している。(C.W)