あやふやな病院 新たに発見!!!


2012年7月のコラム
                                                    ライター 千遥

 今年の8月には、おっちゃんも目出度く「光輝ある」後期高齢者の仲間入りを迎える。

 現役時代には毎年必ず一泊して、人間ドックの健診を受けてきた。会社生活で堂々と息抜きの出来るのは、人間ドッグ入りが一番であった。そのため、おっちゃんは日帰りではなく、必ず一泊するほうを選択していた。

 そんな習慣からか、定年後も毎年の市の基本健診も欠かすことはなかった。その基本健診では市内あちこちの病院や診療所を毎年のように変えて優良な医療機関を探していた。年を重ねるにつれ、人はいろいろな病気に襲われる。それに立ち向かわねば生きていくことが出来ない。そんなことで、当市でも様々な病院にお世話になってきた。

 内科、外科を始め、泌尿器科、整形外科、耳鼻科、歯科、眼科と絶え間なく通院していたようである。保存されているこれらの診察券は10数枚にも及ぶ。よくまあ、あちこち浮気して歩いたものだと、我ながらあきれるほどだ。幸いなことに、大きな病気はこれまで患ったことはない。従って、これまで手術などを経験したことがないのは、何とも幸せで有難いことである。

 現在の定期的な通院先は糖尿病や血圧関係のチェックをする内科、前立腺肥大による泌尿器科、そして睡眠薬を貰うための心療内科だけである。

 医療機関で最も指摘される点は、わずか5分程度の診察に数時間も待たされることであろう。これは、何方も経験済みのことだろう。長寿国の我が国では、患者が多く医師の絶対数が少ないことが指摘されている。これは自明の事柄ゆえ、現時点では、やむを得ない面がある。
 このような天下国家レベルの話題は別として、身近に感じる話題に転じてみよう。



 まず医師の診察態度である。患者と正面から向き合って話を聴くことが非常に少ない。もっぱらパソコンに向かって患者の訴えを書き込んでいることが多い。患者の顔をしっかり見て、聴診器を当てるという医師の基本は何処かに消えてしまった。患者側から詳しく聴く余裕を与えない医師が大部分と言える。

 次は看護師にも問題がある。血液は通常、看護師が注射器で患者の血管に針を刺して血液をとる。これを、しっかり習得してきている筈なのに針を腕に刺してから、血管を探して針をウロウロしている者が目立つ。超肥満児のおっちゃんは、予め看護師に一発で血管に当ててくれと頼む。すると若い看護師はビビッテしまい逃げる。そしてベテラン看護師に替わってもらう有様だ。献血を担当する赤十字社でも、そんなことがあった。こんなことで、看護師と言えるのであろうか。いやはや、なんとも情けなく思う次第だ。

 当市では中堅の某病院には、内科と精神科が二本柱である。ここで病院とは思えぬ光景を目にした。病院の玄関右側では、精神障害者たちが栽培した野菜などを直売している。驚いたのは、その販売に従事している障害者たちが病院内に入り、待合室の人たちに野菜を売り込んでいることだ。中には血圧を測ったり、血液を採取している診察室に入り、野菜を予約した看護師たちに品物を届けていることもある。

 病院という清潔さを最も優先せねばならないところで、こんなことが許される現実に唖然とした。おっちゃんは病院内の「御意見箱」に投書すると共に、責任者との面談を要請し、即刻このような行為を止めることを求めた。面談した看護部長(看護師長の上位者)は、この非を認め、病院内への野菜等
の持ち込み販売は以後行われないようになった。

 この病院玄関左手には喫煙所があった。入院している患者や通院の人たちがここで堂々と喫煙しているのだ。アルコール中毒の人たちの断酒治療の先端と自他ともに認める病院が、タバコは大手を振って玄関先で吸うことが出来るという現実。これを見て、おっちゃんは「タバコの害は世界的に認知されているのではないか」。ここの病院では、なぜ病院という特殊な場所の、さらに玄関先でタバコの喫煙所を設け、自由に吸わせるのか。きつく問いただした。

 市役所でも、喫煙所は屋上に1か所しかない。そこで喫煙者は身を小さくしてタバコをふかしている。酒とタバコはつきものだった居酒屋でさえ、分煙ないし全面禁煙するところがあるというのに、この光景はあまりにも侘しい。一体何を考えているのだろうか。玄関を開けるたびに煙は病院内に流れていく。待合室の方々は、受動喫煙を諸に受けるではないのか。

 問い詰めると、これらの点は場所を変えることを検討中とのことだった。しかし数カ月経って出来た喫煙所は前の場所から数メートル離れた病院への入り口だった。断酒に関して盛んにPRを進め実行している病院がタバコは別だと考えているとしか思えない。もはや弁明を聴くのもばかばかしくなったと言うのが、おっちゃんの現在の心境である。(C.W)