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      春まだ浅き....


 2月27日に続き、雛祭りの「桃の節句・3月3日」にも冷たい空気が入り込み、東京都内から当地まで関東一帯で降雪があり、春の遅さを感じていた。
 ところが、この冬は東日本や北日本では戦後2、3番目の暖かさだったと報道されている。この冬とは08年11月1日から09年2月28日の期間である。それ相当によわいを重ねたわが身は、実感としてそれ程暖冬だった感じはうけず、むしろ寒さを嘆いていたものである。

 テレビや新聞などでは、確かに暖冬の異変は報じられている。高崎市の榛名湖では1月末、それまで延期していた氷上のワカサギ釣りが当日朝になっても、解禁できなかった。現地の観光業者には釣り客からの苦情や宿泊客の苦情が相次いだ。この損失だけでも、1.5億円になる。北海道の新篠津村でも、例年のワカサギの解禁が例年よりも1か月づれ込んだという。        
 「これからは今までの経験値は参考にならない。地球温暖化による暖冬を前提に、桟橋を作るなど湖が氷結しないことを想定した対策を立てねばならない時期がきた」と言われるのは的を射ているようである。

 雪深い北陸でも、この冬の降雪は例年の半分程度であり、各地のスキー場も満足にオープンできなかったようだ。この冬の累積降雪量を平年値と比べると、札幌では422センチで83%だが、青森は57%、仙台は31%、新潟・十日町では50%に過ぎない。総じて北日本の日本海側では平年の76%、北陸では31%しかなく、それぞれ戦後2番目、3番目の少なさである。近々発表される桜の開花予想でも平年より早くなる見込みであり、温暖化は益々スピードを速めていると見られる。

 

   
私鉄で初めて プロ野球の球団歌が発車案内メロディーになる

 鎌ケ谷市内 東武鉄道2駅 球春盛り上げる

 
鎌ケ谷に一足早い春が訪れた。北海道日本ハムファイターズの球団歌「ファイターズ讃歌」が26日から、2軍の本拠地球場がある当地鎌ケ谷市の東武鉄道野田線「鎌ケ谷駅」と「新鎌ケ谷駅」で、発車案内メロディーとして駅のホームに流れている。
 球団の2軍スタジアムは市の誘致で97年に開設された。昨シーズンの入場者は6万人を超えて日本一だという。今回のアイデアは昨年、市の若手職員が立ち上げた地域活性化プロジェクトの中で提案され、球団と鉄道の快諾を得て実現した。
 
上のガビー君をクリックすると、「発車案内メロディー」に関する3者の共同案内に繋がります(PDF形式)。

  
「ファイターズ讃歌」は、日本ハムが東京に本拠地を置いていた時代から親しまれていたファンの定番ソング。「進めファイターズ勝利の男 進めファイターズさわやかに」と歌うサビのメロディーをアレンジして四曲を作成、二駅上下線各ホームで異なる曲が流れる。

 これまでプロ野球1軍チームの本拠地として、JR中央・総武線の水道橋駅での(巨人・球団歌「闘魂込めて」)やJR京葉線海浜幕張駅(ロッテ・球団テーマソング「We Love Marines」)で発車案内メロディーが使用されている。しかし私鉄での使用は初めてであり、二駅同時も初めてという。また2軍での使用も初の試みである。

 
2月26日午前11時からは、「ファイターズ讃歌」使用開始を記念し、鎌ケ谷駅長やファイターズのマスコット「カビー」などによるテープカットセレモニーが実施された。

 鎌ケ谷駅で行われたセレモニーで、清水聖士市長は「10万人市民全員で応援したい」とエールを送り、日ハムの成田竜太郎・首都圏事業グループ球団グループ長は「ダルビッシュも、鎌ケ谷で育った。ファンの方はぜひ東武線を利用して」、前島芳夫・鎌ケ谷駅長は「今後とも官民協力して地域の活性化を」と呼びかけた。

          

      
 鎌ケ谷駅長とマスコットのカビー君   鎌ケ谷駅でのテープカット

   
マスコットのキャビー君
東武鎌ヶ谷駅 メロディーを聞く清水市長  カビー君 (拡大
   

                                  写真は   より借用しました
    
      さらばオレンジ 中央線の象徴

  つい最近の新聞を見ていたら、あの懐かしい中央線の電車が間もなく「見納めになる」との記事に接した。懐かしい電車とは、オレンジ一色の中央線快速の電車である。
 いっとき、鎌ケ谷駅から市ケ谷駅まで通っていたおっちゃんは、黄色い電車のJR総武線普通電車で帰ることが多かった。最短の通勤経路は西船橋駅まで黄色い電車に乗り、そこで地下鉄に乗り換えて九段下までゆく。会社から真っ直ぐに帰るときは、その経路を逆に戻ってくる。従って定期券はそのようになっている。

 しかし、帰りは飲みに寄ることが多かったから、帰路は異なった乗り物になる。飲みすぎると、タクシーで新宿に向ってしまう。まず、行きつけのスナックで終電近くまで飲む。ウイスキーの水割りが多い。こうなると酒量の限界はとうに過ぎ、帰宅時間などは頭の何処にもなくなる。翌日の辛さなどは思い浮かばず、享楽に溺れる始末と相成る。

 飲み屋のママさんなどは気をきかせ、追い出しにかかる。せかされせかされて、やっと店を出る。他の人から見れば、近頃世界中に名を轟かせた「もうろう大臣」か、「酔いどれ大臣」のような状態になっていたに違いない。こんな状態でも、乗るべき電車は覚えている。それが、あの懐かしきオレンジの中央線電車であった。
 この電車は多摩駅と東京駅を結ぶ。逆方向に乗ると多摩に行ってしまう。だが、不思議なことにそれだけは無かった。千葉方面行きに乗るのだが、ヘタに座れたりすると寝込んでしまい、東京駅まで連れていかれる。御茶の水駅で黄色い鈍行電車に乗り換えねばならないのに、東京駅から戻り新宿駅で目覚めたりする。「さっき乗ったのに、まだ新宿か」と無駄な時間を送ることが多かった。

     

        
オレンジ電車201系         新型車両E233系
                             
       JR東日本より


 個性の強かった鋼鉄製= 「単色オレンジ電車」は今や2編成のみで、他はステンレス製の銀色の軽くて経済的な車両に変わっている。オレンジ電車の登場する57年以前は、ほとんどの電車は茶色だった。なぜ、茶色だったのだろうか。
 ブレーキをかけると出る「鉄粉による汚れを目立たなくするため」とは、ウソのような本当の話である。
  以前は熱として捨てていた余った電力を、架線に戻して他の電車で再利用する「回生ブレーキ」も備えており、201系は登場後しばらく「省エネ 201」と大きく書かれたヘッドマークを付けて走ったという。省エネ電車の見本でもあった。来年はその姿をすべて消す。今や周辺の中核駅でも、
大きく変貌している。駅中に店が増え、駅舎そのものが大きく変わり方向感覚を失う。ときには、電車にも乗らないと時代に後れてしまいそうだ。
  
              

 
世界中がオバマ米国新大統領のニュースに耳目を奪われていたとき、おっちゃんは彼の言葉を全く別な世界でも、実感していた。=Yes We Can=(きっとできる)のことである。

 その就任から4日あとの日曜日、久しぶりにのんびりとテレビ三昧をしていた。この日の圧巻は、大阪国際女子マラソンに見る渋井陽子復活のVである。8年前彼女は、同じ長居陸上競技場発着で初マラソンを世界最高で制した。しかし、その後はまるで勝てなくなった。トップ集団にいても、30
キロ付近からいつもズルズルと引き離されていった。11月の東京国際女子マラソンでも、同じようなパターンを繰り返した。結局のところ4位に終わっていた。

 普通マラソン選手は、1年に一度程度目標を定めたレースに挑戦する。渋井は11月に負けてから「勝つまでやろう」と、僅か2か月後の本大会出場を決めていたという。「やればできる」のか。素晴らしい迫力だ。その根性と気迫には全く敬服するばかりだ。今夏のベルリン世界選手権では「優勝しかない。それだけの力はある」と監督も太鼓判を押す。ベルリンでの活躍を、心より望んでいる。

 同日の大相撲初場所千秋楽では、朝青龍が見事4場所ぶりの優勝を遂げた。場所前の横綱総見などでは不調だったが、コツコツと勝利を積み上げての優勝は見事であった。優勝決定戦での勝利のあとに見られたガッツポーズでは、またまた「品格」を問われた。ガッツポーズのみに限れば、周囲から
ほぼ不可能視された中で己に打ち勝ち、復活を遂げたことに「感極まった」末の所作と見てもよいだろう。それは彼が観衆の中で始めて見せた涙が如実に物語っている。

 朝青龍の場合、勝負の決まったあとにしなくてもよいダメ押しをすることが多い。相撲は格闘技だが、喧嘩ではない。やりすぎと思われる仕業は、きっちりと注意し、止めさせねばならない。
 本人の自覚は勿論だが、親方のしっかりした指導が必要である。どうも野放しにしている気がしてならない。

 しかし負ければ引退が確実視されていた。そんな中での勝利への執念は、敬服に値する。大関どまりでカド番を繰り返す日本人力士に不足するのは、「きっと勝てる」というこの執念と、そのためになすべき努力であろう。
 春場所が15日から始まる。一刻も早く、若い力士が育つことを期待している。
(C.W)

        
 

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