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******  日本・中国・韓国 漢字国の微妙な違い  ******

 
 気象庁は7月も終わりに近い26日、7月15日から24日にかけて九州や山陰地方、長野県など広範囲で被害をもたらした大雨について、「平成18年7月豪雨」と命名した。各地で、記録的な雨量を観測したほか、9000棟以上が浸水するなど、被害が甚大だったため久方ぶりの豪雨命名となった。

  一方、関東地方は26日、久々の晴天に恵まれ、東京の都心では12日ぶりに青空が広がった。各地で気温も上昇し、当地・鎌ケ谷市でも正午過ぎには31度を超えたものと予測され、筆者も少々くたばりかけてきた。気象庁による正式な発表こそなかったが、自分なりには、既に梅雨明け宣言をだしていたものである。

 引き続き気象庁は30日、「中国、近畿、東海、関東甲信、北陸は梅雨明けしたと思われる」と発表した。いずれも昨年より12日遅く、東北北部、南部も今週中には梅雨明けしそうという。ところが、皮肉なもので30日、31日と急速に気温が低下した。
 大規模マンション修理工事も完了し、建物を覆ったシートや足場が取れて見晴らしも回復したわが家を、終日涼しい風が開け放った窓を吹き抜けていく。何と、半そで・半ズボンでは耐えられぬ冷え込みようとなったのである。まことに、お天道様とはいつの世もままならぬものだ。
 同庁によると、関東甲信の梅雨明けは平年より10日遅く、梅雨明けが特定出来なかった93年を除くと、記録が残る51年以降でも5番目の遅さ。東海地方の梅雨期間は52日で、過去30年では2番目の長さだったという。
 しかし首都圏在住生活者の実感としては、豪雨をもたらした梅雨前線の停滞で局地的には長雨が続いたが、全般的にはカラ梅雨の印象だったように思える。しかし、これからは本格的な夏を向かえねばならない。暑さによる年寄りの熱中症などの発生も多くなる。お互いに充分気をつけたいものである。

    

中国と日本 漢字文化に思う


先日読売新聞の夕刊コラム「夕景 時評」を読んでいたら、面白い記事が載っていた。その一部を以下に引用する。

              


  記者の上海駐在の知人が言う。「現地のテレビでは大阪のことをダーバンと言っている」。南アフリカの都市、それとも紳士服のことか。「東京はトンチンだって」。何をとんちんかんなことを。中国人は漢字表記の日本の地名を中国語で読んでいるのだ。(注記:筆者挿入)ちょっと中国語を学習した人なら、こんなことは当たり前だと思うことが、上海駐在の「知人」が知られていないのには驚いた。


  日本のテレビは中国の地名をどう読んでいるのか。NHK大阪放送局視聴者センターによると、地名・人名は原則として日本語の読み。上海や北京、南京、青島、香港など原音(現地音)読みが定着しているごく一部は原音読みだが、殆んどは日本語読みだ。(ж1)ここは、読売の執筆者に誤りがある。 瀋陽(しんよう)、大連(だいれん)、武漢(ぶかん)、重慶(じゅうけい)、これらは日本人には馴染みの地名である。現地音のシャンヤン、ターリャン、ウーハン、チョンチンとは読まない。読売テレビアナウンス部に聞くと、原則は同じ。ただ、韓国、北朝鮮の場合、現音読みするようになったように、原音主義は国際的な流れである。定着の線引きは難しいが、一般に認知され、理解されてきたものは随時見直していくという。NHKでは台湾・台北(たいほく)だが、タイペイと読んでいる。

  中国駐大阪総領事館の領事は「日本人には中国語の発音は難しい。画面や筆談では分かるが」という。政冷経熱の日中関係。昨年来日した中国人は65万人、訪中の日本人は340万人にも上る。漢字の国同士、筆談もいいが、真に友好を深めるためにも、お互いに徐々にでも原音読みを増やしていきたいものだ。やはりオーサカ、トウキョウと言ってほしいから。.........と結んでいる。





  筆者は学者でもなければ研究者でもないが、「中国と日本」「韓国と日本」には、人名などに関しては相互主義が取られており、現在でも、日本人は中国人の名前を日本語読みするのが当然視されているように思う。
  毛沢東は「もうたくとう」であり周恩来は「しゅうおんらい」なのである。マオ・ツオートンとかツオー・アンライなどとは言わない。同様に、中国では田中角栄はティエンツオン・ジャオローンであり、小泉はシャオチュアンなのである。決して、たなかかくえい(田中角栄)とも、こいずみ(小泉)とも言わない。

  NHKのハンドブックでは、「中国の地名・人名は原則として、広州(こうしゅう)、江沢民(こうたくみん)のように日本で通用する漢字(中国の簡体字ではなく)で書き、日本語読みとする。」としている。国家主席の「胡錦涛」は(こきんとう)、首相の「温家宝」は(おんかほう)となる訳である。しかし、新聞などでは胡錦涛と漢字で書いて「フーチンタオ」とルビを打つ、また、温家宝には「ウエンチャアパオ」とルビが打たれていることが最近ではよく見掛ける。
発音は別として、日本でも原音読みが徐々に浸透しつつあるのは間違いない。

  同じように韓国や北朝鮮に関しても、以前から李承晩はリ・ショウバンであり、金日成はキン・ニッセイのように日本読みであった。これが韓国読み、即ち原音(現地音)読みに変わってきたのが読売の記者も言う国際化の流れなのだろうし、また相互主義が行き渡りつつある証明でもある。今や金大中は、キン・ダイチュウではなく、キム・デジュンが当たり前となった。韓国の拉致被害者・金英男もキム・ヨンナムと呼ばれるようになっている。韓国大統領はノムヒョンと表現し、キムヨンジヤ、ヘギョンなどと日本人も、相手国の人名を原音読みするのに抵抗が無くなったようである。

  今では金正日をキンショウニチと読む人は、年若い児童かよほどの老人しかいないに違いない。まずはキム・ジョンイルと原音読みすることが一般化してきた。わが日本では、かように国際化しつつあるが、さて先方はどうか。この点に関して韓国では、山田はヤマダ、木村はキムラとかなり正確にハングルで表記し、発声しているようである。
  原音(現地)読みを日本側からみるとハングルは比較的日本人に近い発音だが、中国語は発音が難しい。ルビをふられたカタカナやひらがなを単純に発声しても、まず通じない。「ニーハオ」や「シェシェ」は何とか通じても、一般人が田中や山田を伝えるだけでも相当な苦労を伴うことだろう。
  そんなことからも、原音読みは日本では難しさが伴う。一方、中国人は難しい自国語や英語の発声に慣れているから、日本よりは原音読みを進めやすい感じがする。



   
 
下記はハングルによる地名である


いわばカタカナに、さらにルビをふったものだが、さていくつ読めるだろう



 さて、前述の読売コラム記述者の「上海や北京、南京、青島、香港など原音(現地音)読みが定着している」という記事だが、上海や青島、香港を除くと「原音読みが定着した」とは到底思えないのである。日本人はまず100パーセント、北京(ペキン)とか南京(ナンキン)と発音する。「ほくきょう」や「なんきょう」と発声する方にお目にかかったことはない。
 しかしこれは原音(現地)読みではないのだ。ぺきんやなんきんを、「原音読み」と断定するのは大きな誤りである。原音読みはペィチンであり、ナンチンなのである。ならば現地でペイチンとかナンチンとか言えば通じるかとなると、これは甚だ疑問でもある。中国語を全く知らない日本人が単語を並べても、まず通じない。それだけ中国語は発音が難しい。北京も南京も文字に書けば通じる。確かにそれは通じるが、言葉が「筆談で通じる」ことにはならないことは言うまでもない。
  中国語をある程度習って、始めて「筆談で通じる」ことであるから、ここは錯覚しないことが大事なところである。

面白いのは「上海(しゃんはい)」である。これこそ、まさに原音(現地)読みなのである。普通の日本人であれば間違いなく「しゃんはい」と発音する。「じょうかい」などと読んだら、それこそ笑い話になるか、ばか者扱いされてしまう。もちろん発音は日本語のように平坦ではないが、中国人からみれば最も理解しやすいだろう。青島(チンタオ)も原音読みに近い。しかしパソコンで「ちんたお」と入力しても青島とは変換されない。しかし「チンタオ」と変換されるし、原音読みと言ってよい。だが古い方々を除けば、「あおしま」または「せいとう」と読んでしまう危険性はあるかも知れない。

 香港はどうなのだろうか。香港(ほんこん)はアヘン戦争の後、1842年香港島、60年に九竜半島南端部がイギリスに割譲され1997年中国に返還されるまで長期間イギリスの租借地となっていた。現在は中国の特別行政区であり、正式には「ホンコン」とは言わず「Xianggang=シャンクアン」であるが、まあ原音読みと見てよいだろう。最近観光客が増えた西安も「せいあん」ではなく、原音読みの「シーアン」と読む人が多くなったようである。


 韓国や北朝鮮などの場合、前述したように人名は原音読みが多くなったが、地名も平壌をピョンヤンと呼び、釜山もプサンなどと呼ばれるようになってきた。

 意外と知らないのが韓国の首都「ソウル」である。ソウルとは漢字では京城(けいじょう)だと思われる方が多いだろうが、正式名はソウル(Seoul)である。ソウルとは、「朝鮮語では首都の意」と広辞苑でも書かれている。古くは漢城でありのちに漢陽と称したものを、日本支配の時代のみ京城と呼ばれ、1945年ソウルと改称されたものである。
 中国語学習者の端くれでもある筆者がいつも疑問に思い続けていたのが、北京や南京が「ほっきょう」や「なんきょう」と読まず古くからペキンやナンキンと読まれていたこと。そして上海が正に原音読みのシャンハイとなったことである。
 この経緯の解明は、永遠の課題として残しておくとしよう。                 (C.W)