中世の歴史と文化財講座を開催

(更新:H22年3月4日)

 鎌ケ谷市内には歴史愛好者の方も多く、今回第2回目となる「中世の歴史と文化財講座」及び「市立市川歴史博物館&考古学博物館見学」の公開講座を企画し実施した。主催はNPO法人 かまがや地域情報の窓 後援は市教育委員会である。

 開催日時は2月20日(土)午後1時〜4時 中央公民館学習室2で「中世の歴史と文化財講座」を」開催した。
この講座は、二部構成で開催したもの。

 *第一部:文化財講座「鎌ケ谷の中世〜板碑に込められた思い〜」で講師は、市職員の後野 真弥さん

文化財講座で「板碑(いたび)」について説明する講師の後野真弥さん

参加された受講者の市民 講師の後野 真弥さん 実物の板碑を説明

 参加者の中には「板碑」という言葉の意味を知らない方もおられ、スライドによる写真説明や実物を展示して説明する事によって理解が進んだ。鎌ケ谷市内では北部小学校の近くで佐津間の民家の入り口横に北方前板碑(ぼっけまえいたび)が出土した市の史跡資料を示す掲示板がある。板碑は中世(鎌倉・南北朝・室町・戦国時代)に限って作られた石製の供養塔である。板碑の現物は郷土資料館で展示保存されている。

 また、後野講師のお話では鎌ケ谷市内で「板碑」がまとまって発掘されたのは、現在日本ハムファイターズ鎌ケ谷球場近くの万福寺境内遺跡出土板碑である。その他市内では八坂神社や妙蓮寺、鎌ヶ谷大仏でも発掘されていると云う。年代別には鎌倉時代〜江戸時代初期(西暦1350年〜1370年頃と1460年〜1500年頃)に造立され時期が集中している。

  後野さんの文化財講座「鎌ケ谷の中世〜板碑に込められた思い〜」の一部を音声(mp3形式)で、聞く事が出来ます。

佐津間で出土した板碑(鎌ケ谷市指定考古資料)
北方前板碑(1) 北方前板碑(2) 北方前板碑(3)

 それでは、「板碑(いたび)」とはどのようなものであろうか。石製の供養等で北方前板碑(ぼっけまえいたび)では、頭部を山形に作り、2本の刻線を入れ、塔身には梵字や図象、文字などが刻み込まれている。
 板碑には、信仰を表す梵字や図象、文字などが刻まれ、浄土教系では「阿弥陀仏如来」「南無阿弥陀仏」、日蓮宗では「南無阿弥陀仏」と表記されている。またその板碑を造立した目的は、亡き父母や自分の極楽浄土での安穏な暮らしを祈るための供養塔であると説明された。
 更に、後野さんの説明によれば板碑の造立者は当時の無名の武士や僧、また15世紀以降には(集団)による民衆の造立もあったと云う。
 講座の後の参加者のアンケートでは、その当時の民衆がどの様な思いで板碑を立てたのかその「板碑に込められた思い」をもう少し聞きたかったとの意見もあった。


 *第二部:講演会「下総国の中世史〜大名から庶民まで〜」で講師は、市川市歴史博物館学芸員の史学博士 湯浅 治久氏

 今回の講演会では、近接の市川市歴史博物館学芸員の湯浅氏にお越し頂き「下総の国」の中世史について講演をしていただいた。
 前述の後野講師の様に考古学発掘を専門とされるのではなく、主に文献や古文書などを調査・研究されをされている。主要な著作としては『中世後期の地域と在地領主』(吉川弘文館、2002年)、『中世東国の地域社会史』(岩田書院、2005年)、『戦国仏教(中公新書)』(中央公論者新社、2009年)など他にも多くの著作活動もされている。

  湯浅講師の講演会「下総国の中世史〜大名から庶民まで〜」の一部を音声(mp3形式)で聞く事ができます。

   
講演会で話される湯浅講師 平将門と下総の関わりを説明される 中世の歴史を聞かれる参加者
マウスクリックで動画を再生します。

 今回のテーマは「下総の中世史で大名から庶民まで」と、千葉県全域の時代は平安から戦国時代まで(およそ12世紀〜16世紀)の比較的広範囲に渡る中世歴史の講演会となった。

 講演会は約1時間半ほどに渡り、【@古代から平安時代のこと A下総千葉氏のこと B南北朝内乱のこと C戦国時代のこと D庶民の時代、中世】などのサブテーマ毎に話をされ、下総国は東京湾(内海)と霞ヶ浦(内海)や手賀沼、印旛沼など流域河川を結ぶ水運で、人や農作物や麻(織物)の交易が行われ発展していたと云う。

 中世において、下総国の千葉氏が源頼朝を担ぎ、鎌倉幕府を成立したころには下総でも有力な勢力となった事や、その後南北朝の内乱で千葉氏も分裂。応仁の乱では関東で享徳の乱が起こり、戦国時代へ移り、佐倉千葉氏が成立したことなど、歴史が好きな方にはとても興味が持てる内容であった。
 資料の『本土寺過去帳』によれば、15世紀の文明5年(1473年)と16世紀の永正2年ごろ(1505年)に年次別死亡者数が二つの山を作っている。寒冷化による飢餓によってこの頃、死亡者数が増えたとのグラフを湯浅講師が資料の中で示されている。

 中世の日本にも奴隷制度があったとの話は、初めて聞いたことであり驚きでもあった。奴隷制度の証は、大名などの古文書の記録に下人として台帳に記録されており、家内奴隷や債務奴隷として取引されたとある。

 当日は、3時間にも及ぶ長時間の講座であったが参加された皆さん(24名)はとても熱心に、郷土の歴史を学んでおられた。


 第2日目となる市立市川歴史博物館及び考古学博物館の見学会(2月28日)は、朝からの生憎の雨にも係らず11名の参加者が北総開発線新鎌ヶ谷駅に集合して、電車で10分、到着駅(北国分駅)から徒歩7分ほどの所にある博物館に向かった。

市川市の博物館見学会参加の皆さん

 到着後、歴史博物館の館内では、先日の講演会講師を務めて頂いた学芸員の湯浅治久さんから館内を約1時間20分ほど案内していただいた。市川は昔し国府があったところで(現在の国府台辺り)鎌ケ谷との関わりや、中世から近代に至る当地の歴史の移り変わりなど説明を頂いた。

市立市川歴史博物館 歴史博物館入り口付近 中世の合戦の説明パネル
展示品の解説をされる湯浅氏 市川周辺の古代地図 農耕文化のコーナー


 普通は博物館の見学に行くと、各自館内の展示物を見ながら関心のある展示物の説明書きや展示パネルを見て一巡して終わってしまうのだが、特に今回の様な学芸員の方からガイドを受けながらの見学会は、大変貴重な経験となり展示物の理解を深めるのに役立った。

 歴史博物館に隣接する、考古学博物館も今回初めて見学するもので、1階会場では同じく考古学博物館学芸員の方の説明を受けた。1階では太古のクジラやサンゴの化石の他、1/3程に縮小展示された地層の展示など、16万年前の太古の東京湾と千葉房総半島の地形など今までよりずっと海が内陸部まで来ていたことなど興味深い説明を受けた。その後は各自で2階展示室を見て周り、古代から奈良・平安時代までの発掘埋蔵品などを見学した。
 
考古学博物館1階で説明を聞く 2階の展示場


 今回の市川市の2つの博物館見学会は2時間半近くに及ぶ見学であったが、他市のこの様な博物館見学は初めての試みでもあり、参加された見学者の方たちも講座だけでなく、この様な実物展示を見ることや学芸員の方の実物を前にした説明が、歴史や文化財に対する理解を深めるものと好評であった。

(レポート:S.K)