上海紀行
Part23

ライター:千遥

     上海博物館

 人民広場駅で地下鉄を降り、外に出ると幅広い高架の歩道橋になっている。この歩道からの眺望は結構よい。下方の広い道路を車が行き交い、人々が往来する。車はほとんどタクシーである。

 見まわすと激しい雑踏の向こうには旧租界の重厚な建物が見え、中国の五星紅旗がひるがえっている。視線を右に向けると外灘(ワイタン)の超高層ビル群が遠く一面に展望できて気持ちがよい。そして比較的近くには上海博物館のどっしりした建物が見えている。

 歩道橋を降りて博物館方向に向かう。その途中に人民公園がある。ここは街中にありながら、実に広々とした空間があり緑のオアシスである。ちょっとのぞいて見てみようかと中に入ってみる。そこには近くの喧騒とはまるで違う静けさが漂っていた。入場料は2元である。中では清掃のおばさんがのんびりとゴミを拾ったり掃いたりしている。若いカップルなどは全く見受けられない。ここから見上げれば、見渡す限り聳え立つビルばかりだ。混雑する街中と違って中にはあまり人影も見られない。公園内にはあちこちにベンチなどがあるが、老人がゆったと休んでいる光景だけである。



人民公園から見た光景

 のんびりとした空間と静寂さだけがそこにある。やや暫く散策していたけれど、あまり興味を引くものは無かった。

 当方はまだだまだ成熟した人間ではないのだ。すぐにその静けさに飽きてしまった。ひとわたり公園内を巡ってそのまま公園の外にでた。
 その隣りには威容を誇る上海博物館がデンと控えていた。出発前から、ここだけは必ず見ねばならぬと教えられていた。入場料は30元ほどであった。博物館は4階建てで内部は整然としている。それぞれの階層が5つほどの部屋に区切られ、古代からの青銅器文明時代からの文化財や陶磁器などが展示されている。



軍艦のような上海博物館

 入り口では日本人旅行者のために日本語による解説機器を貸し出ししている。このイヤーホーンを聞きながら展示物を見ればよいのだが、所詮聞いても忘れてしまうと思い、借りるのはやめた。貸し出しの料金が60元という比較的高額であったこともあるが、膨大な展示物を見て、聞いてというのはとても無理と感じたこともある。



我 上海を愛す(移動販売車)
(Wo ai shanghai)



上まで昇れるかな?


 博物館内部は当然のことながら撮影は禁止なので、残念ながら細部については記憶の彼方へ去ってしまった。中国4000年にも及ぶ悠久の歴史と、現代までに残された多くの資料に圧倒されたということしか、はっきりとは覚えていない。
 中国人民の生誕からの長期間にわたる生活用具や当時に作れた陶磁器などが各区画ごとに整然と展示されている。上海博物館が誇る収容物には、3000年前から近代におよぶ多数の貨幣が所蔵されてある。興味をひいたものに中国独特の芸術といわれる印鑑がある。これも3000年も前から作られていたというから、さすがに印鑑の中国だ。

 出来るだけ大雑把にみたつもりが2時間以上もかかってしまった。中国歴史に造詣の深い方ならば、丸一日は出て来られないだろうと思った。我々単純な二人はといえば、情けないことに最後はすっかりくたびれてしまい、すっかりボーッとして出てきた。



発展する浦東地区を見る

 夕食を摂ったあとは再び外灘に戻ることにした。外灘から運河を越えて向かい側の浦東地区に渡るには二通りの方法がある。一つは渡し舟に乗っていく。もう一つは地下に潜り運河の下に彫られた隋道をくぐって渡るのである。
 目と鼻の先までを船に乗っても仕方が無い。それで隋道経由で行くことにした。歩道はない。円筒形の可愛らしい電車に乗らねばならない。観光客用にと作られたものだから、隋道の中もきらびやかで、進行方向には、赤・青・黄色などのライトがキラキラと交差し点滅して観光客を喜ばせる仕組み。因みに、この僅か5分程度の電車代は20元ほど。物品の安い上海では結構立派な料金であった。
 浦東地区は今上海で最も発展している地区だ。巨大な高層ビルが聳え立っている。日本企業が群れをなして投資しているところでもある。工場も続々建設されている。



派手な2階建てバスとリャカー

 我々遊覧組は、やっぱり上海でも著名なテレビ塔に向かうことになる。夕闇のせまる頃が外灘の光景が最も輝く時間帯である。運河沿いのビルにはネオンが点灯され始め人々の心を感動の中に導いていく。
               (続く)


 

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