東中欧の旅(その1 チェコ・プラハの旅)
2006年6月4日〜11日の8日間、いつか行きたいなと思っていた中世ヨ−ロッパの建築物や文化遺産が多く残る東欧・中欧をN社のパック旅行に参加、夫婦で旅する機会に恵まれた。何故、東欧旅行を希望したかと言えば、これらの国の中には旧共産圏(チェコ、ハンガリー)に属していた国もあれば、19世紀オーストリア・ハンガリー帝国を支配したハプスブルグ家の宮殿や多くの文化遺産が残るオーストリアを見てみたいと思ったのが理由である。
旅の日程は、移動期間も含めて8日間、3ヶ国をそれぞれ移動と見学を含めて二日づつの旅となった。出発は6月4日成田からKLMオランダ航空でアムステルダム経由の乗り継ぎでチェコへ。ここ4年ほど海外旅行には行っていないので長時間(11時間半ほど)の旅行はきつい。アムステルダムから乗り継ぎでチェコ空港に着くと、荷物の受取ロビーではチェコ音楽の父、スメタナの連作交響詩「わが祖国」が流れていた。一泊目のホテルはプラハ郊外のホテル(コリンシア パノラマ ホテル)にチェックイン。現地時間でPM11時頃到着、さすがに疲れてその晩は即就眠。
翌朝は、プラハ市内の半日市内観光で、プラハ城内にある聖ヴィート大聖堂、黄金の小路、カレル橋などを見て、旧市街広場(旧市庁舎やティーン教会)に移動。ホテルから観光バスに同乗した現地の女性ガイドさん(カレル大学の日本語科の学生)が上手な日本語で説明をしてくれた。
チェコと言えば、「プラハの春」(1968年1月産党第一書記に選出されたドブチェク氏の自由化政策を抑えるため、1968年8月20日突然ソ連の戦車がチェコスロバキアに侵入する。首都プラハに侵攻したワルシャワ条約機構軍はドプチェク氏を拉致、戒厳令が敷かれ西洋化は事実上停止した。この間の期間を現代史では「プラハの春」として扱う。)について、ガイドさんから当時の出来事を説明された。当時は私も26歳ごろ、確か旧ソ連軍の戦車が市内(ヴァーツラフ広場)に侵攻して来る状況を、チェコの放送局が実況し、西欧諸国の救援を求めたが、結局西側諸国から見捨てられた無念の思いをしたチェコ国民の事は記憶に残っている。
(注)「プラハの春」について事件の詳細は、このサイトより引用
プラハ城は外側から見るだけであったが、大統領が城内にいるときは国旗が揚がっているとの説明を受けた。城内にある聖ヴィート大聖堂は、ステンドグラスが実に美しい。中にはミーシャの作であるステンドグラスもあった。次に黄金の小路に向かう。ここは中世の城内にある小さな店が細い小路に沿って沢山並んでいて、今はどの店もみやげ物を売っている。このプラハ城の出口に衛兵が警備していて、丁度衛兵の交代式を見ることが出来た。城の出口からプラハ市内を一望できて、眼下にはモルダウ河が見えた。モルダウ河に架かるカレル橋は有名で、この橋から見る景色はすばらしい。観光客も多くここに集まる。
カレル橋を渡りきると、プラハの旧市街である。市内には路面電車(低床型)が縦横に走り、市民の大切な交通網である。
旧市街は細い迷路の様な小路が広がり、みやげ物店や飲食店、服飾店、雑貨品を扱う店など多くのお店が建ち並んでいる。
チェコは人形劇でも有名である。この旧市街にも人形劇を見せるお店や、操り人形を売っている店が多い。私達も午後の自由時間に、再度このお店に立ち寄り「ピエロの操り人形」を購入した。最近はこの街を訪れる日本人が多いのか店員は日本語で話しかけてくる。
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| プラハ市内の路面電車 | カレル橋からプラハ城を見る | 旧市街地へのカレル橋の門 | 旧市街地の入り口 |
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| チェスキー・クルムロフ城 | 中世の佇まいを残す街 | チェスキー・クルムロフの市街 | 城の窓から市内を望む |
<続く>